
こんにちは。AX研究室のRobert Hubaczです。
もし重要設備の異常を、停止や故障が起こる前の段階で把握できるとしたら——運転や保全の進め方は大きく変わるはずです。
ここで想定しているのは、定期点検の現場で偶然異常が見つかる、という話ではありません。日常的に収集される運転データをもとに、システム側が変化の兆候を継続的に捉えていく、というアプローチです。
こうした取り組みは、すでに多くの産業プラントで実用化が進んでいます。そして、それを支える中核技術の一つが「デジタルツイン」です。化学業界においても、安全性・効率性・信頼性を高める手段として、デジタルツインへの関心が急速に高まっています。
デジタルツインとは何か
デジタルツインとは、現場の設備やプロセスの状態をコンピュータ上で継続的に再現する仕組みです。つまり、現実のシステムを表すデジタルモデルが、実際の動作データに基づいて継続的に更新されるものです。
化学プラントの場合、これは設備、反応器、配管内の温度や圧力、原料の流量、製品組成といったプロセスデータを利用するコンピュータモデルを意味します。モデルは最新のデータで絶えず更新されるため、プラント内の設備やプロセスの現在の状態を把握するだけでなく、将来それらがどのように振る舞うかを予測する助けにもなります。
ここで、しばしば混同されがちな次の三つの概念を区別しておきましょう。
- デジタルモデル – プラントの設計、化学プロセスのシミュレーション、さまざまな運転方法の検証に用いられる基本的なモデル。稼働中のプラントからのデータをリアルタイムでは利用しません。
- デジタルシャドウ – 化学プラントから継続的にデータを受け取り、設備やプロセスの現在の状態を示すモデルですが、将来の状態を予測する機能は備えていません。
- デジタルツイン – 化学プラントから継続的にデータを受け取り、さらに設備やプロセスの将来状態を予測し、問題を検出し、意思決定を支援できるモデルです。
化学プラントは単一の機械ではなく、多数の相互接続された設備とプロセスから成る大規模なシステムです。そのため、プラント全体のデジタルツインは、全体を一つのモデルで表すのではなく、複数の小さなデジタルツインを組み合わせて構築されるのが一般的です。
では、こうしたデジタルツインは、実際にはどのような要素で成り立っているのでしょうか。
デジタルツインの主な構成要素

デジタルツインの4つの主要層(データ層、モデル層、更新層、アプリケーション層)の構成図。情報のクローズドループと、化学プラントの最適化におけるアプリケーションの役割を示しています。
デジタルツインは、単なるモデルではなく、データ取得から活用までを含む仕組み全体で成り立っています。通常は、四つの要素で構成されます。
- データ層 – 温度、圧力、原料流量、製品組成などを測定する各種センサーから情報を収集します。
- モデル層 – 化学プラント内のプロセスや設備の動作をコンピュータ上で再現します。
- 更新層 – モデルの予測とプラントからの実データを比較し、必要に応じてモデルを補正します。
- アプリケーション層 – 予測、警告、設備状態に関する情報など、モデルの結果をエンジニアやオペレーターに提示します。
特に重要なのがアプリケーション層です。これにより、解析結果は単なるデータの集まりにとどまらず、プラントの運用を支援する実用的な情報になります。たとえば、次のような支援が可能です。
- 他の測定値から推定・算出できる未計測値の推定
- 異常の兆候に対する警告
- プロセスや設備が将来どのように振る舞うかの予測
- プロセス効率の向上やエネルギー・原料消費の削減方法の提案
ただし、こうした仕組みを化学プラントで実現するには、いくつかの難しさがあります。
なぜ化学プラント向けデジタルツインの構築は難しいのか
ここまでを見ると、デジタルツインは非常に有用な技術に思えるかもしれません。しかし、化学プラントでそれを構築し、安定的に活用することは容易ではありません。
その理由は、化学プロセスが複雑で、しかも常に変化しているためです。原料の混合、反応、製品の分離は相互に影響し合うため、単一のプロセスであっても、さまざまな運転条件下でその挙動を正しく予測できるモデルで表現するのは困難です。
1. 相互作用の複雑さ
化学プラントでは、プロセスパラメータのわずかな変化でも連鎖的に広がり、システム全体の挙動に大きな影響を及ぼすことがあります。
たとえば、次のような変化が連鎖的に生じることがあります。
- 温度がわずかに上昇する
- 反応速度が上がる
- 発熱量が増える
- 圧力が上昇する
- その影響が後続の工程にも現れる可能性がある
化学プラントでは、多くのパラメータが相互に影響し合っています。そのため、一つのパラメータだけを見て全体のプロセスを理解することはできず、正確なモデル作成を難しくしています。
2. 時間スケールの違い
化学プラントでは、すべてのプロセスや変化が同じ速さで進むわけではありません。
- 化学反応はほぼ瞬時に進行することがある
- 一方で、設備の劣化や堆積物の蓄積には数週間から数か月かかることがある
したがって、実用的なデジタルツインは、異なる時間スケールで起こる現象を同時に扱える必要があります。
3. 観測できない情報の存在
実際のプラントでは、必要とされるすべての場所にセンサーを設置することはできません。
そのため、重要な情報の中には直接測定されていないものがあります。たとえば、
- 触媒活性(反応をどの程度促進するかを示す指標)
- 設備内部の堆積物の量
- 観察が難しい箇所の状態
このため、デジタルツインでは一部の値をモデルや近似計算によって推定しなければなりません。
4. 設備・条件の経時変化
化学プラントは時間の経過とともに変化します。
- 設備の老朽化
- 原料のばらつき
- 汚れや不純物の蓄積
- 運転条件の変化
こうした変化により、当初は正確だったモデルが現実を十分に反映しなくなることがあります。だからこそ、継続的な更新がデジタルツインに不可欠なのです。
デジタルツインのモデルはどのように構築されるのか
デジタルツインは、化学プロセスを記述する数理モデルに基づいて構築されます。主なアプローチには、次の三つがあります。
- 物理モデル:厳密だが、計算負荷が大きい
- データ駆動型モデル:高速だが、未知の状況には弱い
- ハイブリッドモデル:両者の長所を組み合わせる
以下、それぞれの特徴を見ていきます。
物理モデル
このアプローチは、化学と物理の法則に基づいています。
- 強み: 既知の物理・化学法則に基づくため、信頼性が高い。
- 弱み: 多くの計算資源を必要とし、リアルタイム活用が難しい場合がある。
データ駆動型モデル
このアプローチは、過去データ、人工知能、機械学習を用いて、プロセスパラメータ間の関係性を見つけ、挙動を予測します。
- 強み: 高速に動作し、データ中に繰り返し現れるパターンの検出に優れる。
- 弱み: 学習に用いたデータに存在しなかった新しい状況には、うまく対応できないことがある。
ハイブリッドモデル(複合モデル)
このアプローチは、物理・化学法則に基づく物理モデルと、人工知能・機械学習を活用したデータ駆動型モデルという二つのモデリング手法を組み合わせたものです。
- 強み: プロセスに関する知識とデータ解析を組み合わせられる。
- 弱み: 構築がより難しく、プロセスに関する深い知識と適切なデータの両方が必要になる。
実務上、ハイブリッドアプローチは特に有望です。物理・化学法則のみに基づくモデルよりも、複雑な化学プロセスをより適切に表現できます。同時に、純粋なデータ駆動型モデルほど大量のデータを必要としません。
どのアプローチを選んだとしても、モデルが更新されなければ、時間とともに精度は低下します。デジタルツインは化学プラントから継続的にデータを受け取るため、モデルを定期的に更新し、実際の運転条件によりよく適合させることができます。
デジタルツインの主な活用例
デジタルツインは、現実を完全に再現していなくても有用です。どのモデルもある程度の単純化ですが、そのシステムの動作における重要な要素を信頼できる形で分析する助けとなるのであれば、それだけでも大きな価値があります。
実際には、デジタルツインは主に、運用効率の向上、問題の予測、そしてシステムの動作理解の深化に活用されています。
1. 保全・修理の必要性の予測
デジタルツインの最も重要な用途の一つは、設備の故障や摩耗の予測を支援することです。
センサーからのデータとコンピュータモデルに基づいて、異常を早期に検出し、保全計画を立てることができます。これにより、停止時間を減らし、修理コストを抑えることができます。
2. プラント運転の最適化
デジタルツインは、化学プラントの運転状況をリアルタイムで分析し、改善が必要な領域を特定することを可能にします。
これには、たとえば次のようなものが含まれます。
- 原料やエネルギー消費の削減
- プロセス効率の改善
- 損失や非効率な運転が発生している箇所の検出
これにより、より適切な意思決定が可能となり、プラントの生産性を段階的に高めることができます。
3. プラントの動作をより深く理解する
デジタルツインは、化学プラント内のプロセスや設備のモデルを作成し、実際に稼働している設備で直接すべてを試すことなく、さまざまな条件下でそれらがどのように振る舞うかを確認できるようにします。
これにより、次のことが可能になります。
- プロセス要素間の関係の観察
- 変化が全体の挙動に与える影響の分析
- 潜在的な問題の特定
その結果、オペレーターやエンジニアはプラントの動作をより深く理解し、より的確な運転上の判断を下せるようになります。
日本における重要性
デジタルツインが日本で特に重要とされる背景には、日本の産業構造や社会課題があります。
第一に、日本には発達した化学産業があり、わずかな改善であっても大きな経済的・運用的効果をもたらし得ます。
第二に、社会の高齢化が進んでおり、それに伴って熟練人材の高齢化や、知識・経験の継承が大きな課題となっています。
第三に、エネルギー効率の向上とCO2排出の削減への強い圧力があり、無駄を減らしながら安定運転を実現することが求められています。
言い換えれば、日本においてデジタルツインの重要性は今後さらに高まっていく可能性が高く、安全性の向上、技術知識の継承、効率改善、CO2排出の削減を同時に実現する手段として期待されています。
まとめ
デジタルツインは、単なるデジタルコピーではありません。
それは、実データとの連携によって継続的に進化する、運用支援のための実用的なツールです。その価値は、次のような利点にあります。
- より良い意思決定
- 停止時間の削減
- 効率の向上
- プロセス理解の深化
特に化学プラントでは、エンジニアリング知識とデータ駆動型技術を組み合わせることが成功の鍵となります。複雑で動的な環境だからこそ、現実を的確に捉え、未来を予測できるソリューションが必要なのです。
日本の化学プラントにとって、デジタルツインは今後数年間でますます重要な技術になっていくでしょう。
参考文献
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